Netflixで映画「西部戦線異状なし」を観た感想。

注意:ネタバレがあります。

兵士の死体から軍服を剥ぎ取り、洗い、消毒し、ほつれを縫い直し、そして新兵に着せて戦場に送り込む。この映画の冒頭のシーンを観ただけで気分が落ち込む。兵隊達の死が、戦時下においては当然起こりうる日常として描かれているから。死体よりも、死体が身に纏っている軍服の方が、再利用できるものとして有益なものとして描かれているから。そして、このような光景はフィクションではあるけれど、史実としてあっただろうから。史実というか、今もこの世界で起こりうる事実だろうから。だから、気が滅入る。

敵国の農民からガチョウを盗み、みんなで分け合って食べるシーンがあった。危うくも朗らかな空気が漂っていて、戦時下にあっても、兵隊にとられている期間であっても、人間は幸せな瞬間を持つことができるということなのだろう。だからと言って、人間のたくましさを称えることはできない。戦争を肯定することはおれには絶対にできない。

戦争を題材にした映画やドキュメンタリーを見るといつも思う。なんでこんなにひどい惨状があったのに、戦争や軍事侵攻をする政治家がいるのか。どうしてそのような政治家を選ぶ国民がいるのかと。

映画の後半では、休戦が決定した後で仲間が自死を選んだり、農家に盗みに入ったがために銃弾を受けて死んでしまう仲間がいたりと、目も当てられない。もうすぐ国に帰れるのに、死に近づかないで欲しいと願いながら観た。それなのに、ラストシーンでは、休戦時刻まであと少しというところで司令官が部隊に突撃を命じるという、気が狂っているとしか言えない状況になる。どうして。どうして司令官が独りで自死を選んでくれないのだろう。どうして兵隊を巻き添えにするんだろう。どうして。こんなの最悪過ぎる。

この映画を観て、どんな感想を持てば良いのか。

戦争が嫌だ。

戦争で人が死ぬのが嫌だ。

戦争で人を殺すのが嫌だ。

戦争で人に殺されるのが嫌だ。

政治家が戦争を決めるのが嫌だ。

戦争を決める政治家に投票する人が嫌だ。

全部、全部、全部嫌だ。

何もかも嫌だ。

最悪だ。

最悪な政治家。

最悪な軍人。

判断を誤る有権者。

嫌すぎて気分が悪くなった。

この映画の主人公は、停戦の合図のほんの数秒前に敵兵に胸を刺され、死ぬ。最悪過ぎる。

最悪以外の感情が湧いてこない。

ウィキペディアでこの原作小説について調べたら、第一次世界大戦後の1929年にドイツで出版された本で、反戦文学としても解釈できる作品として世に出たらしい。でも、出版された10年後の1939年に、ナチスドイツはポーランドを侵攻して第二次世界大戦が始まる。ため息が出るというか、身体の力が抜けてしまう。文学や映画は、戦争をやりたい人たちに対抗する力を持っていないのだろうか。戦争って、みんな、嫌じゃないのだろうか。戦争を肯定する人たちは、どんな作品を見たり読んだりしているのだろう。戦争を理論で語る前に、まずは感情の部分で絶対的に否定しなきゃいけないと思う。おれは絶対に嫌だ。