Netflixでドラマ「舞妓さんちのまかないさん」を観た感想。

注意:ネタバレがあります。

一番印象深かったのは、第3話のラストシーン。

キヨがみんなには内緒で、つる駒さんにパンプディングを作ってあげる場面だ。おれはこのシーンを見て、なんでだろう涙が出た。

人が幸せそうな姿を見ているだけなのに涙が出るのはなんでなんだろう。

キヨとつる駒さんが持ったその幸せな時間は、大きな悲しみや挫折を乗り越えてやっと掴んだもの、というわけじゃない、多分。

視聴者にそういった大袈裟な背景や設定を見せなくたって、ただパンプディングを美味しそうに頬張るつる駒さんと、それを嬉しそうに眺めるキヨを見せるだけで、心を動かす何かがあった。そんな場面だった。

「みんなには秘密ですよ」と言ってちょびっとの罪悪感を共有して

キヨが丁寧に作って

つる駒が喜んで食べて

つる駒が感謝を伝えて

キヨが素直に受け止めて

そんな二人の姿を見ている”だけ”なのに涙が出る。

でもひょっとして、これはもしかして、“だけ”じゃないのかも。

二人の姿は、人の営みの究極、到達地点なのかも知れない。そんな二人の姿に幸せの一つの真理を見たから、おれの心は震えたのかも知れない。

キヨとつる駒の二人だけの秘密は、案の定、他の娘達に見つかって、みんながキラキラとした笑顔でその美味しそうなものを食べたいとキヨにせがむ様は、やっぱり幸せそのものだと思った。

幸せって目に見えないものだと誰かが歌っていて、

確かにそうだよなって思っていたけれど、

この第3話のラストシーンで、おれには幸せがはっきりと目に見えた。

ドラマを最後まで見終えて、悲しい話じゃないのに泣けてくる、良いドラマだと思った。おれは登場人物達の生活の、一場面だけしか見ることができないけれど、それぞれの登場人物にそれぞれの生活と思いがあるのだと想像させられる、良いドラマだった。

登場人物の存在よりも前に語りたい話があって、それを視聴者に説明するために配置されたキャラクターという扱いではなかった。

登場人物達が

食べて

目標に向かって努力して

食べて

居場所を見つけたり見失ったりして

食べて

恋をしたり失恋したりして

食べて

 

人が生きているということは、とにかく食べることとセットになっている。

食べることを大切にしようが、疎かにしようが、人が生きている時食べることは常にそこにある。

それが、当たり前にして答えなんだろうって、このドラマを見て思った。