Amazon Prime Videoで映画「竜とそばかすの姫」を観た感想。

注意:ネタバレがあります。

映画館からの帰り道、恋人に感想を尋ねたら

「ベルが歌うシーンよりもハートキャッチプリキュアのエンディングの方が出来がいいと思う ベルは鯨に突っ立って歌ってたけどプリキュアのダンスは滑らかだし何よりも楽しい気持ちにさせてくれるし 10年以上も前のテレビアニメでこの映画よりも低予算だっただろうし」と早口で話し始めたので、おれは映画の感想を聞いたんだけどな、と思った。家に帰ってそのプリキュアの動画を見たら想像以上に歌って踊っていて『やるじゃん』って思った。

そんな「竜とそばかすの姫」がAmazon Prime Videoで配信されているので、久しぶりに鑑賞した。

劇場鑑賞時も思ったが、仮想世界〈U〉の設定が既視感というか、細田守監督の過去作「サマーウォーズ」の仮想空間OZのときの興奮を超えられないことを残念に思った。「サマーウォーズ」の公開は2009年で、日本でiPhone 3Gが発売された翌年にあたる。当時はTwitterもまだ限られた人しか使っていないツールだったし、ソーシャルメディアや仮想空間には憧れや期待、不安や恐れが向けられていたと思う。だからこそ、日本の夏の田舎の風景や人情という現実世界とOZという仮想現実が対比として鮮明だったし、その二つの融合と反発具合がうまく機能してめちゃくちゃ楽しい近未来SFとして成立していたと思う。

今は仮想空間やソーシャルメディアが生活に定着してしまったので、この映画の〈U〉に新鮮味を感じないのは仕方がない。

ところで、この映画の主題はなんだろうか。

おれは忍君の「素顔を隠したままで 何が伝わるっていうの(伝わらないよ)」という発言が、テーマなのだろと思っている。

大事なことは顔を見せて話しなさい。

匿名や仮面を着けた状態では、信頼関係を構築できない。

そういう事だろう。

そういう事なのだろう。

うん。

それで、映画の感想が終わってしまうのだ。

そういうわけで、おれはこの映画を楽しめなかった。

どうしてベルはコンサートに乱入した竜に物凄く執着したのだろう。一目見た瞬間から竜を捨て置けない気持ちになる理由が、どこかで示唆されていたのだろうか、とか。

竜兄弟の居場所を特定するシーンで竜の弟がベルの歌を口ずさんでいたけど、大切な歌なのに全然耳に残らないんだよな、とか。

そんな小さなところが気になって集中力が途切れてしまうのは、やはりこの映画を楽しめていないのだろう。

キャラクターで一番気になったのは、忍君だ。どうしてそんなカッコつけているんだろう。彼は言葉足らずだから相手に気を使わせるし、鈴が周りからどのように見られているのかを気にせずに話しかけたり、身体に触れたりするし。それが忍君の性格で、鈴を心配しているからこその言動だということは理解できるけど。自分の衝動に従うのも良いけど、相手への気配りというクッションを挟んで行動に移した方がスマートでカッコいいと思う。だから、おれには忍君の言動が痛々しく見える。

最近似たような痛々しさを覚えたのは、バチェロレッテ2に参加していた佐藤 駿氏に対してだ。佐藤氏は「今のアナタは素ですか?僕は作られたアナタではなくて、素のアナタと話したい」というニュアンスの事をバチェロレッテに言った。それを言って良いのは二人の間に良い雰囲気や、多少なりとも信頼関係が芽生えた後だろうと思う。ちなみに、バチェロレッテと佐藤氏は傍目に見たら全くの他人で、親しげな雰囲気など微塵もなかった。あれは本当に痛々しかった。

佐藤氏と忍君は「貴女を見守っている」と言いながら、相手が「今」と思うタイミングで手を差し伸べたり、相手にとっての一番良い方法を勘案したりする姿は見えてこない。あの感じがすごく苦手だ。

ちなみにおれの恋人は、佐藤氏を面白い人と評していた。そんな恋人は上司に「貴方は人の心の機微が分かっていない」と言われたことがあるらしい。おれはその話を聞いて、その上司はオブラートに包んで指導してくれる良い上司だなと思った。