映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観た感想。

注意:ネタバレがあります。

鑑賞後に、いや鑑賞中にも思っていた。これはどういう映画なのだろうと。特定のジャンルに当てはめづらいというか、カンフーアクション?サイエンスフィクション?コメディ?家族愛を描いたドラマ?と、とにかくてんこ盛りと言った印象だった。

多分、主題は愛なのだと思う。エヴリンからすると親への、配偶者への、娘への愛情を。エブリンに対しては親からの、配偶者からの、娘からの、そして店の客や国税庁の役人からの愛情を描いている映画なのだと思う。

おれはこの映画がアカデミー賞で作品賞を受賞したということをニュースで知り、何の情報も仕入れずに、作品紹介やあらすじ等を一切読まず、ジャンルも知らずに観賞したので割と面食らった。なぜなら、B級映画感がものすごく溢れている映画だったから。

なんとなく、と言うか、完全におれの先入観なのだけれど、アカデミー賞の作品賞を受賞する映画っていうのは、社会風刺とか社会問題にスポットライトを当てているような、高尚で、お高くとまっているというか、それでいてスマートなものが選ばれるのかなと思っていた。それなのにこの映画は全力でB級感を出しにいっているし、わりとお下劣なシーンもあったりして、だからおれは戸惑った。

一人で映画館で観賞したのだけれど、帰宅後恋人から「何点の映画でしたか?」と聞かれ「50点だった」と回答した。この映画のことを全然消化できていなかったから。これを書いている今でも、消化しきれていない。この映画を「好きか?」と問われれば「そんなに好きじゃない」と答えるけど、「つまらなかったのか?」と問われれれば「いや、面白かったと、、、思う。」と答える。そんな感じ。

おれがこの映画で印象的だったのは、ジョイの母に対する執着である。だってジョイは並行宇宙に存在する全ての母(エヴリン)を殺している。しかも、この世界の母を殺せないということが分かると、今度は母を闇落ちさせて一緒にベーグルに行こう(無に帰ろう)とするし、それすらも失敗したらジョイが自らの存在を消そうとする。これってものすごい執着だと思う。ここまでの執着が生まれる原因として何があったのか、それは特に描かれていないと思うけれど、一つの要因として『自分のセクシャリティが母に受け入れて貰えない』という辛さがあったのかも知れない。でも、その辛さが並行宇宙に存在する全ての母を殺す、という程の憎悪に発展したのかというとよく分からない。まぁ、ジョイとジョブ・トゥパキは全くの別人格だから、ジョイからジョブ・トゥパキの発生原因は探れませんと言われたら、「そうなんですね。」と言うほかないけど。

ジョイと同じくおれはゲイだから、自分のセクシャリティが親に受け入れられなかった時の絶望、悔しさ、怒り、寂しさを想像することはできる。でも親を丸ごと否定したり憎んだりできないことも知っている。おれは実際にカミングアウトしていないから、ジョイの心の内を想像することしかできないけど。おれは、もしカミングアウトをして親に受け入れられなかったら、と想像するだけで心がとんでもないダメージを受けるし、どうやら耐えられそうにないなって思うから、未だにカミングアウトをしていない。勇気がでない。

ただ、今後、親にカミングアウトをしたとして、親がおれを受け入れ難いとなったとき、おれは親を殺したい程に憎しみを覚えるのかどうかと想像するに、多分おれはそこまで憎まないと思う。親に執着するには、おれは歳を取り過ぎた。親を大切にしたいけど、別人格の他人であるって分かるほどには、大人になった。それでも傷つくだろうけど。

それにしても、ベーグルに全てを乗っけたら「すべてが重要じゃなくなる」ってすごい発想だ。全部あるから、欠けているものがないから、それぞれを選別する必要も優劣をつける必要もなく、全部が同じだけ重要で、裏を返せば全部が同じだけ重要じゃない。個の喪失。

それって人類補完計画じゃん、、、。

エヴァじゃん。

好き。

あと、この映画では並行宇宙が存在するものとして描かれているけど、エヴリンが生活に疲れ果てて白昼夢を見ているだけ、という捉え方もできるんじゃないかなって思った。思ったけど、とにかくてんこ盛りの映画だったので、劇場で一度観ただけでは理解が追いつかなかった。もし恋人と一緒に観に行っていたら恋人は絶対に途中で寝ただろうし、劇場を出た後でつまらなかった部分をあーだこーだとおれに言ってくるであろうことは想像に難くないので、一人で観に行って良かったかな。