注意:ネタバレがあります。
早くアニメでも見たい。
漫画がとても面白かったから。
そして、おれの大好きなドロヘドロのアニメ制作会社が作るから。
作者の藤本タツキ氏も、「ドロヘドロと呪術廻戦のパクりみたいなチェンソーマンをドロヘドロと呪術廻戦のアニメ製作会社がやってくれるんですか!?そりゃもう何も言う事ないじゃないですか!!どうかよろしくお願いします!!」(引用元:アニメ『チェンソーマン』公式サイト)と言っている。
作者も楽しみにしているんだと知り、いちファンのおれも嬉しい。
てか、作者もドロヘドロ好きなんだ、、、
おれと感性が似てるってことじゃん、、、
と親近感が芽生えたところ、
藤本タツキ氏が運営しているTwitterアカウント ながやまこはる で五十嵐大介の漫画を参考にした回があるというツイートがあって
なんだ五十嵐大介も好きなんだ、、、
おれも五十嵐大介大好きだし、、、
じゃあもうおれたち友達じゃん、、、
と勝手に友人認定してしまった。ファンは思い込みの激しい生き物だけど、漫画を全巻購入するという布施とブログに書くという布教をしているから若干の気持ち悪さは堪えて欲しい。

漫画チェンソーマン (第一部 公安編)で一番好きなのは、6巻である。
デンジとレゼはお互い惹かれあっているけど、お互い殺し合うしかなくて、でも互いの命を断つことはできなくて、支配された状況から一緒に逃げようとデンジが駆け落ちを提案する。
だけど、待ち合わせの場所にレゼは現れない。
デンジは一人、プレゼントの花束を抱えて待ちぼうけている。
まるでどこぞの国のスパイ映画のようではないか。
レゼは死にゆく刹那、待ち合わせのカフェを見遣る。カフェに、自分を待つ男の背中を見つけて、そのまま息絶える。
切ない。
だからこの巻が一番好きだ。
一番笑ったのは、7巻[第57話]突然 で、パワーがデンジを車で跳ねるシーン。すっごい笑った。シンプルだけど、すごい面白かった。
一番興味深かったのは、9巻[第70話]摘む で、『森羅万象を知ると死ぬまでハロウィンの事しか考えられなくなる』というくだりだ。
これは、脳は処理可能な範囲の情報しか扱えず、それを超えるとパンクして機能停止を起こすってことなのだろうけど、これはデンジの成長物語としてのテーマでもあると思う。デンジは10巻[第80話]犬の気持ち で自分で考えることを放棄したいとマキマに申し出る。デンジはもともと劣悪な環境に置かれていて、それゆえ人生の目標は、食パンにバターとジャムを塗ったものを朝食にしたいという程度に低く設定されていた。でも物語が進行し、当初の目標をクリアした後は、自分で判断し、行動し、責任を負わなければならないという状況に置かれる。それを明確に自覚したとき、考えることを放棄したくなる。放棄した結果、自分の大切な人をまた失う。
これはデンジだけに当てはまる話ではなく、自分の身に置き換えることが可能なテーマだと思う。物語が普遍性を持ち、読者がこれは自分の物語かもと感じ取れるようになると、物語が説得力を持つ。チェンソーマンというバリバリのフィクションの物語であっても、自分の物語になる。
デンジの良さって何だろうか。正直なところだろうか。アホっていうのとはちょっと違う。
自分に正直に一生懸命に行動した結果、社会性を持つ周りの人間とは違う行動になるから、面白いし、そこに笑いも生まれるのだろうか。
パワーも同じだ。パワーは嘘をつくけど、自分に正直だ。
おれは自分が同性愛者であることを、ほんの数人にしかカミングアウトしていない。自分にもたくさん嘘をつくし、周りの人間にもコントロールした情報しか与えていない。デンジやパワーは眩しく見える。好きなキャラクターが創作の中に存在してくれていて、嬉しい。