平等院の見どころはやっぱ鳳凰堂

梅雨が明ける頃に、京都府宇治市にある平等院に行った時の話である。

平等院は、JR奈良線宇治駅から歩いて10分くらいのところにある、既存の日本仏教のどの宗派にも属さない寺院である。

ちなみに、宇治駅に設置されているポストから宇治市がお茶推しである事がよく分かる。茶壺ポスト。

平等院への道すがらの参道にお茶屋さんがあり、よく冷えたグリーンティが飲める。おれは山田園茶舗というお店で飲んだが、一杯50円だった。早い、安い、うまい。最高とはこのこと。

さて、平等院の見どころはやはり、10円玉の表面の図柄になっている鳳凰堂だろう。

というか、「平等院鳳凰堂」とセットで認識している人が多いのではないだろうか。自分はそうだ。

この鳳凰堂は池の中島に建てられており、池を挟んで鳳凰堂の正面に立つと、あの見慣れた建物をこうして写真に収める事ができる。

ピントが合わない。

全然合わない。

鳳凰堂にピントを合わせると手元の10円がぼやける。上手く撮るのは多分無理、粘っても無理、と思って早めに諦めた。

ちなみに、定員制、入替制度ではあるが、

追加で300円払うと

この鳳凰堂の内部を拝観できる。撮影が禁止されていたので写真で紹介することはできないが、立派な阿弥陀仏像があり、古くてボロボロになっているけど華やかな装飾であった事を思わせる壁画もあり、とても良かった。

また、この建物が鳳凰堂と呼ばれる始めるのは江戸時代に入ってからで、それまでは阿弥陀堂と呼ばれていたと職員が説明してくれた。今でも阿弥陀仏がまつられているので阿弥陀堂で良いのだが、鳳凰堂という呼称がとても有名だし、どちらも間違いではないですよ、と。

また、建物は東向きに建てられている。その理由は、参拝者が阿弥陀仏を拝むと西を向くことになるからである。阿弥陀仏の住む極楽浄土は西方にあるとされるからですという説明もあった。

面白い話を聞いたな〜

300円払って良かったな〜

貴重な話が聞けて得した!と思っていたが、後日平等院のホームページを見たら、職員さんの解説内容が全部記載されていた。

ちなみに、日本仏教では1052年に末法(仏教が廃れ、ブッダの教えは残っていても、正く修行を行える者や、さとりを得る者のいない仏教的に荒廃した時代)に入ったとされていて、鳳凰堂(阿弥陀堂)が造られたのはその翌年の1053年ということから、これを建立した藤原頼通は仏教をリアルに受け取って生きていたんだろうなと想像した。

 

余談であるが、硬貨のどちらの面が表か裏かについて、小学生の頃のおれは確証が持てなかった。

インターネットのない時代で、今ほど気軽に情報にアクセスできなかった。でもインターネットがなかったので、間髪入れずに「ソースは?」とか言うヤカラもいない牧歌的な時代であった。話はズレたが情報源はまず親、教師、友達、テレビ番組、学研の科学や学習という雑誌、コロコロやボンボンといった漫画だった。検索バーなんてなかった。

ちなみに今回独立行政法人造幣局のホームページで確認したところ

10円青銅貨幣の図柄

(表)平等院鳳凰堂・唐草

(裏)常盤木・10

と記載があったため、表面が平等院鳳凰堂で確定である。